中年親父のつぶやき、愚痴話

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zoom RSS 前編・中山道歩き・河渡宿〜関ケ原宿まで 28回目

<<   作成日時 : 2016/11/30 20:26   >>

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2016年(28年)11月21日(月)〜22日(火)
AM 6:00
河渡宿から出発
しばらく行くと「五六川」に架かる橋を渡ると
まもなく美江寺宿である。
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街道はやがて、稲刈りも終わりの田園風景を見ながら
進む・・・。
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今度は鈴なりに実った柿の収穫作業をしていた
綺麗なお姉さん達が笑顔で話しかけてくれました。
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そして柿を数個頂きました。
取りたてのフレッシュなお味でとても美味しいかった
ありがとうございました。
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農園地帯を進んで行くと樽見鉄道の踏切があり渡りきったところから
美江寺宿入口だったという
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宿内は古い大きな屋敷が現存し宿場らしい
雰囲気があり見応えがある。
また建物も虫籠窓や,うだつが残され
ほんとうに見る価値のある街並みだった。

いつもは中山道地図マップ上にGPSをかぶせて
迷うことなく歩くことができたが今回は地図上に
GPS表示が出ない??

道に迷って車に乗ってる人に聞いたら
「この道は中山道ではないよ!」
親切丁寧に教えてもらい、ようやく中山道に復帰
しばらく歩き、また旧道が見当たらない??

キョロキョロしていると先程の車の人が・・・

「やっぱり!ここで迷いましたか〜〜」

「心配なって、ここで待っていたんですよ!!」 と・・・

話を伺うと彼も中山道を京都〜日本橋を
目指しているとか・・・

こんなにも親切にしていただくとは・・・ 
大変恐縮しました

板橋宿一里塚を通る時は是非ご一報ください。

巣鴨におばあちゃんの原宿と呼ばれる
通称とげぬき地蔵の近くに大変美味しい
巣鴨名物 塩大福ご馳走しますので・・・

田畑の道を進むと見事に染まったイチョウの木が数本
この旧中山道は、たいへん美しい道であった。
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少し行くと、揖斐川に架かっている鷺田橋に
上がるのだが、道が無い・・・??
堤防の側道が轍になっているので
皆さん此処のガードレールを潜り抜けたのかな?

這いつくばって潜り抜けるため人に見られたら
恥ずかしいのでキョロキョロしては
リュックサックを放り投げ、
体がやっと通れる隙間を潜り抜ける
ほんとうに苦労しました。
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川を渡ったところで呂久歩道橋から堤防下の歩道に
下りた所に「良縁寺」がある。
なんとも縁起のいい名前のお寺だ!! 32歳の我が息子は
まだ独身なので良縁がありますように・・・と
拝もうとしたがお賽銭箱が無い・・・?
よって、お賽銭無しで拝みました。(笑)

ご利益ありますように   
願いが叶ったらお礼詣りに来て
いっぱいいっぱいお賽銭を出しますので・・・。
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歩いて数分、皇女和宮が呂久川の御渡しを利用した
際に和歌を詠んだことを記念し開園した
小簾紅園があります。

孝明天皇の妹である皇女和宮が
徳川家茂の元に嫁ぐため、
呂久川(現在の揖斐川)を渡る御座船の小簾の中から
対岸の家の庭に紅葉する楓を見て、
和宮はその美しさと自身の
境遇を重ね合わせ・・・

    おちてゆく 身と知りながら

            もみじ葉の人なつかしく 

                     こがれこそすれ
と詠まれました。
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見学をしていると館長さんが話をかけてきて
暫し、降嫁する和宮様の切ない気持ちを詠った
和歌談議で盛り上がり
その後、記念に記帳をしました。
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紅葉が真っ盛りの小簾紅園を後にして

平野井川渡り、土手に登りまた〜道を間違えた 
妻からはブ〜ブ〜〜
泣きながら戻る・・・・ 
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中山道に復帰し、歩いたいるとS字に曲げられた
道筋にさしかかる。
ここに「中仙道七回り半」らしき文字が刻まれた
石碑が置かれているのだが、本当にそう読むのか・・・
先程通ってきたときも似たような石碑が立っていた。
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田園風景を見ながら進むと中山道標識があり
赤坂宿にはそこを右に曲がる。
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近鉄養老線の踏切を越えて、菅野橋を渡る。
古びた家や堀がある。
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古びた家や塀などを堪能し宿場外れに来ると
廃線の線路が・・・
線路の周りは草が生え
もう使わなくなってだいぶ時が経っているようだ
これも時代の流れだろう
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昼飯大塚古墳の標識があり
住宅街の細い道を行くと忽然と大きな
古墳が現れる。
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長さ150メートルの3段築成の古墳で階段があり
最上部まで上ることができ、そこからの見晴は素晴らしい。
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街道に戻り10分ほど、昼飯町の信号の所で
東海道本線の線路をくぐります。
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美濃赤坂を過ぎた辺りから本日の目標地点の
関ケ原宿までは時間的に
もう無理、断念をして
垂井宿で終了を決断する。

決断をすると時間に余裕ができ
のんびりと歩く。

東海道本線のガードを越えると、
旧中山道は青墓町の家並みの中を通っていきます
途中、青墓宿と記された標柱が建てられている。
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この地区は平安時代には東山道の宿場が有った所
遊女が多く、それにまつわる話も多く残っている。

集落の道を歩いていくと美濃国分寺への
道標を兼ねた常夜灯と、その先に青野一里塚跡の
標柱と常夜灯があります。
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少し行くと「平尾 御坊道」道標も見られるが
平尾御坊とは何なのかさっぱりわからない?
道標の右手には2体の石仏が祀られていた 。 
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宿場に入ると垂井宿案内マップ、垂井宿碑、
東の見附説明版が立っている。
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垂井宿案内マップを左に行けば垂井駅
駅前には竹中半兵衛重治の銅像が凛と立っている。
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竹中半兵衛は黒田官兵衛と
豊臣秀吉が羽柴を名乗ってた頃から
秀吉を支え続けた軍事参謀(軍師)で
両者の名前を取って
「両兵衛またはニ兵衛」とも呼ばれています。

垂井駅から穂積駅まで戻り、車を回収
大垣駅のアパホテルに泊まりました。
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一日目はこれにて終了

後編は関ケ原陣地散策です。

後編は下記をクイックしてください。
http://08128282.at.webry.info/201612/article_1.html





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