中年親父のつぶやき、愚痴話

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zoom RSS 中山道歩き・細久手宿〜大田宿まで25回目

<<   作成日時 : 2016/06/23 19:59   >>

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平成28年6月20日(月)雨
am 0:00
出発時はどしゃ降りの雨

今回往復を新東名で
更新忘れたナビが空中彷徨って
到着時間計算出来ないハプニングが・・・(笑)

岐阜県曇り 
am5:00細久手宿、公民館に駐車
駐車場には和宮様の顔ハメ看板があったので
妻は早速、記念に撮ることを要求
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年増の和宮で失礼しました。
お見苦しい画像から入るブログですが
最後まで見てくれる事を切に願っています。

大黒屋前から開始です。
もうこの時間に大黒屋の女将さんがお店の前で
何かをしてる。
旅館の女将さんはいつも朝は早いんだ〜

朝の散歩していたお爺さんに声をかけられました。
「旧街道歩き?」
若い時は葛飾で働いていたというお爺さんと
大黒屋の女将さんと記念撮影です。
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朝の静かな旧街道は霞んで古い家屋が
何ともいえない風情がある。

途中、歪んで見えるカーブミラーがあり
面白かったので撮ってみました。
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街道を歩いていると街道脇に穴観音が鎮座している。
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「九万九千日観音」とも呼ばれている。
縁日にお参りすると
なんと、9万9千回の御利益があるそうだ
しかも・・・人目を忍んでと書いてある。

縁日は人出も多いと思うが・・・
人目を忍んでとはこれは!難しい・・・ 
至難の業だ!!
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こんな事を思いながら坂道を上っていくと
瑞浪市内旧中山道の影
と書かれた碑があるが・・・影とはどういう意味??
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之より先千三百米一里塚迄瑞浪市日吉町平岩地内
旧幕当時に開いた中山道は昔其侭の姿を今尚残して居り
此間に次の様な地趾が残て居る
一里塚より可児町に通している

1、道か東西南北に向て居る診(珍)らしい所
1、石室の中に観音像三体祭る
1、旧鎌倉街道へ行く分岐点日吉辻
1、切られヶ洞
1、一里塚京へ四十一里江戸へ九十三里路上及一里塚付近よりの眺め
1、東に笠置山恵那山駒ケ岳
1、西に伊吹山鈴鹿連峰
1、北に木曽の御嶽山加賀の白山
1、南に遠く美濃平野に尾張富士又快晴の日には
  尾張熱田の海を見ることもできる

石碑には重々しく書いているが単なる観光案内?

早速、その「旧中山道の影」に紹介されていた
「石室の中に観音像三体祭る」があった。

秋葉坂の三尊石窟
祀られているのは馬頭観音や観音坐像など3体。
行き交う旅人や牛馬の安全を
見守っていたのだろう。
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この先は上り坂、下り坂あり
田園風景や道祖神を見ながら
緑濃い雑木林の中を気持ち良く歩くことができる。
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やがて山道に入り、鴨の巣一里塚の道標があり
そこには目立つように熊出没注意と書かれている。
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そう言えば今年は全国的に例年より
熊の出没が多いとか・・・
慌ててリュックから鈴を取り出して
数回チ〜ンと鳴らす。

鴨之巣一里塚
江戸へ93里、京へ41里
ここからは鈴鹿、伊吹やアルプスの山々が
一望できます・・・ と書いてありましたが
あいにく今日は霞の空・・・ 残念
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山道は歩きやすく快調に進む
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やがて朽ち果てた納屋があり、その先は
田んぼそして集落が見えてきた。
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坂の終わり近くに山内嘉助屋敷跡と刻まれた石碑が。
江戸時代に酒造業を営んでいた豪商の屋敷があった場所。
栄華を誇っていた豪商も時代とともに
没落したのだろうか?
今は石垣だけが残されている。
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集落の中心付近で地元の人に声をかけられる
「大田宿まで歩く予定です」と言ったら
「山を2.3超えればすぐ大田宿だよ!」
と・・・ 軽〜く〜言う (笑)
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集落はずれに、今にも崩れ落ちそうな所があった。
これは大変!!持ち上げなければ・・・
大地は重かった (笑)
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再び山道に入りこの辺りから竹林が多くなり
木漏れ日がさしこむ幻想的な道を歩く。
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竹林に囲まれ朽ち果てた蔵らしき建物から
ちっとも怖くない妖怪が出て来そうな
何とも言えぬ哀愁が漂っている。
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樹木草に精霊が宿っているような感じがする
そんな旧道でした。
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さらに進むと謡坂十本木一里塚十本木の洗い場
そして謡坂の石畳道となるのだが、
この梅雨時なので石畳みは湿っているため
何度転びそうになったか・・・
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時期が時期なので苔が元気で
色鮮やかに石畳、石垣、そして木々までも
勢いよく生えている
そしてキノコまで生えていた。
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まもなく西洞(さいと)の急な下り坂となるが、
この坂を通称牛の鼻欠け坂と呼んでいる。
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地元にはこんな唄が伝えられているそうだ。
牛坊、牛坊どこで鼻欠いた
西洞の坂で鼻欠いた


牛の鼻欠け坂を下った旧中山道は
山裾を通って国道21号に入る
この辺りからやっと平野部を歩けるようになる。
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田園風景、街道両側には花が咲き乱れ
疲れもさほど感じる事無く、次の宿場町
御嶽宿へ
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国道、県道と黙々と歩き続けるが、峠道、山道と
違い疲れが倍増に感じた。

御嶽宿は中世から「願興寺」の
門前町として栄えていた町で、
また大湫宿、細久手宿への難所を控えた
宿場としても賑わっていた。
町並みも当時の面影が残っている。
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和泉式部廟所、本陣跡、みたけ館という郷土資料館
を見学、やがて名鉄御嵩駅へ
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ダラダラ歩いていると
鬼の首塚なる祠が見えてくる。
祠の中には関ノ太郎首塚と鬼首塚と
刻まれた2本の石塔が鎮座しているが、
関ノ太郎と鬼の首は同一人物?。
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伝説によると
鎌倉時代
鬼岩の岩窟に関の太郎とも鬼の太郎とも
呼ばれた男がいたが、悪行三昧のし放題
ついに蟹薬師の祭礼の日に討ち取られたのだが、
首を京都に送る途中この地に落ちて
動かなくなってしまったため
ここへ埋めたのだそうだ。

首塚の隣に建てられているのは正岡子規歌碑

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草枕むすぶまもなき

    うたたねの

      ゆめおどろかす

          野路の夕立 

                 子規

顔戸城址比衣一里塚跡碑とあるが
道路から離れたり、道路の向こう側だったりして
歩くのが面倒なのでパス(疲れた)

足を引きずりながら、やがて伏見宿へ・・・
国道の植え込みに伏見宿 本陣之跡碑がある。
ほっと一息・・・
ここで記念写真を撮る。
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伏見宿は、宿場行灯が置かれて
宿場時代の面影が今も残っている。
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ひたすら国道を歩く
ほどなくJR太田線の踏み切りを渡るのだが
その手前に5〜6基の石碑が建てられた
辞世塚なる
立派なものがある。
どういう人が建てたのか?何を書いてあるのか?
さっぱり解らない
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新大田橋を渡れば大田宿もうすぐ其処だ
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ここで妻と、ひと悶着 
私は、この先の今渡の渡し場跡碑、夜泣き石
見学したかったが妻は「足に豆が出来、歩くのが嫌だ」 
と言い張る・・・梃子でも動かぬ態度・・・
結局、いつものパターン 私が折れる 

新大田橋を渡り・・・
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無事、美濃太田駅に到着。
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本日のデーター

歩いた時間 8時間15分

歩いた距離 26.1キロ

高低差    371m

累積標高  3,637m / 3,985m (上り/下り)

       

                 2016年6月20日

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