中年親父のつぶやき、愚痴話

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zoom RSS M中山道歩き、和田峠越え

<<   作成日時 : 2014/06/26 12:27   >>

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6月23日
朝4時45分、旧国道142号の「男女倉口」に到着
まだ薄暗く、登山道の入り口は樹木で覆われもっと暗いので
歩き始める前に朝飯を食べる。
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食べ終わり、登山道を見つめ
中山道最大の難所和田峠へ・・・
気合いを入れて、いざ  出発 
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歩き始めて数分、いきなり鹿が現れ、目の前を
通り過ぎて行った。

吃驚した  一瞬 ! 熊かと思った。
登山口に熊が出たので注意してくださいとの立札が
あったのでよけい怖かった。
6月28日と書いてあったので??きょうは何日・・・ 23日だ!
去年の立札だった。
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歩いて数分、多数の石仏が鎮座している、
この石仏群は「三十三体観音」と呼ばれ、熊野権現社の前に
あったものを発掘しここへ安置したとか

比較的広い「草道」を歩いていると旧国道142号の
接待に出る。
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合流先に茅葺屋根の建物がありここは「接待茶屋跡」
江戸呉服町の豪商が寄付した資金をもとに設置された人馬施行所で
旅人には粥を、牛馬には煮麦を施したのだそうだ。
なかなかの人格者だったらしい。
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その反対側には美味しい水が湧き出るとかで
地元の人が一ヶ月分の水を給水していました。
気さくな話好きの人で、この辺に他にも数ヶ所あると
教えてくれました。

私も飲んでみましたがとても美味しい水でした。
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少し行った所に「殉職警察官の碑」
が建てられているはずでしたが、これは見逃して
通過してしまいました。

ちょっと登ったところに登山道端にひっそりと
殉職の地碑があった。
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資料によると「強盗犯人を護送途中、犯人と格闘となり殉職」
時は明治22年(1889)、彼はまだ
21歳という若さであった。

手を合わせご冥福を祈りました。

本人も親御さんもほんとうに悔しかっただろうと
想像すると胸が痛んだ。

しばらく歩くと石畳の道となるのだが
ほとんどが雑草に隠れているのが残念
苔だけならまだ救われるが・・・
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登山道の左右どちらかに沢があり、せせらぎの音が
心地よく聞こえ、足どりも軽く順調・・・
いくつかの橋を渡り、やがて湿原キャンプ場が出現
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登山道両端には笹竹が覆い、しばらく行くと
「現代の石畳道」となり再び旧国道に合硫する。
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国道沿いに「東餅屋のドライブイン」が1軒あるが
朝、早かったのかまだ開いていなかった。
看板には名物力餅と大きく掲げてあった。
ぜひ食べてみたかったが・・・ 残念・・・
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中山道草道に入り数分、「中山道がトンネル」になっている。
トンネルの上は美ケ原高原に至るビーナスラインであるが、
旧中山道を歩く旅人のためにトンネルを
わざわざ作ったのだろうか?
ただ、大雨の場合絶対通れないだろうと思う。
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トンネルを出た先で、何度目かの
「ビーナスラインを横切っていく」
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車道はジグザグに急カーブを上っていくのだが、
旧中山道はほぼ直線的に登っていくため
ビーナスラインを何度も横切ることになる。
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ほどなく前方が開けて「和田峠頂上」が見える。
男女倉口を出発したのが5時ちょうど。
写真などを撮りながらマイペースで
登ったため頂上到着が8時27分。
3時間27分の登山であった。

「和田峠頂上」には中山道碑や説明板が設置されている。
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広場の左上に御嶽山大権現など何本かの
石塔が建てられている。
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ここからの眺望が素晴らしい。
はるか彼方に、これから下っていく
下諏訪の町並みも望める。
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これを見ると頂上でのんびしていられない!
はるか彼方の下諏訪は見るからに遠い 

下りの坂道は緩やかな草道で快適に歩くことができる
と思ったのが大間違いでした。
すぐに急坂、ガレ場そしてロープを張った断崖絶壁で
慎重に歩くが、膝がガクガクなり始めた。
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さらに下ると旧中山道は旧国道を横切って
ガードレールの切れ目から、さらに下って行く。
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ガードレールの隙間200mほど歩くと
「西餅屋一里塚跡碑」があるが
ここは江戸から53里目となる。
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ほどなく国道142号に合流。

ここで作業服の地元の人に
「峠を越えてきたのですか?」
そして「これから下諏訪まで歩きます」と言ったら
びっくりしていました。
この地元の人は歩く習慣がないとのことで、長く歩いても
1キロが限度だそうです(笑)
最後に「京都まで頑張ってください」
励まされました。
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歩道の無い国道を大型トラックを避けながら下って行き
案内に従って左の脇道に入ると「水戸浪士の墓」ある。
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元治元年(1864)、和田峠を越えてきた
水戸浪士千余名(天狗党)と
高島藩・松本藩連合軍がこの地で激戦。
勝利した水戸浪士軍は10余名の戦死者を
この地に埋めて京都めざし出発してしまったのだった。

下諏訪宿はまだまだ遠い。歩くペースも
遅くなり、疲れの所為か妻は無口でしゃべりかけても
反応なし!!不機嫌である!

無口で黙々と歩いていると
後ろから夫婦連れに声をかけられ
話してみると、やはり彼らも中山道歩きでした。

地元の人で峠の入り口で帰ってきたとか・・・
まだ「峠越えの心構えが出来ていない」と言って笑っていました。
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街道はすぐ先で一旦、右の道を下り
その先で坂を上っていく。
上り坂の突き当たりに「木落し坂碑」と
解説板が建てられている。
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ここは七年目毎の申・寅年に行われる
諏訪大社下社御柱祭りの中の木落しが行われる場所。

毎回この祭りがある年は必ずTVでニュースとして
報道されているので、私も知っていた。
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上記の画像は下諏訪商工会議所掲示板より抜粋

碑の前にある「木落し坂」は傾斜度45度、
目の前で見る木落し坂はまさに絶壁である。

大木につかまり、この坂を下るとは・・・
私から言わせればまさに、
こわっ!恐!恐怖以外のなにものでもない
勇者とか勇気とか男意気なんてものじゃない

最後まで大木にすがり、滑り落ちた人は
男意気の誇りと名誉の称号で一族の自慢を
末代まで語り継がれることだろう

私だったら嫌!嫌だ!!どんな大金積まれても
あの絶壁の急坂から下るのは・・・
絶対やらない・・・
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木落とし坂から横の遊歩道を下ると、
国道に合流する手前に石塔群があり、
芭蕉句碑」が建てられている。
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 ゆき散るや 

     穂屋のすすきの 

              刈残し   
  
                    芭蕉

この先いっぱい旧跡や名跡などがたくさんあったが
疲れ過ぎたので写真を撮る余裕もなく
二人とも無口になり足を引きずりながら
ただただ、気力だけで下諏訪の
諏訪大社下社春宮へ・・・
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無事、和田峠越えを出来たことに
感謝して参拝をしました。

下諏訪の銘菓、塩羊羹の新鶴本店で
土産として数個買いました。

塩羊羹の試食を食べた妻はようやく
仏頂面から笑顔になり元気を取り戻しました。
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タクシーで男女倉口まで・・・
そして帰りは来た道路を通るのはつまらないと思い
旧142号で急カーブ連続の和田峠越えをして
下諏訪に入り中央道で我が家へ
帰ってきました。

歩いた距離約22キロ
   歩いた時間約8時間

  日本橋から221.0キロ踏破
      京都三条大橋まであと316キロ


















 













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コメント(1件)

内 容 ニックネーム/日時
先日お話をお聞きしましたが、写真でみると中々景色がいいですね、歩いた人の特権ですよ。
たぶん私が歩いたら景色を堪能する余裕ないかも(笑)
もうすぐ旅路の半分ですね祝杯をしましょうかね!
たに
2014/06/27 14:41

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